言葉なんかおぼえるんじゃなかった


―― 田村隆一「四千の日と夜」

田村隆一(1923–1998)は、戦後日本を代表する詩人のひとりです。
硬質でドライな言葉づかい、そして都市に生きる人間の孤独や痛みを描くその詩は、
文学というより、むしろ現代的な言葉のデザインのような趣すらあります。

そんな田村さんの代表作のひとつに、詩集『四千の日と夜』があります。
その中の一行――「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」――という言葉は、
まるですべてのクリエイター(特にコピーライター)が一度はつぶやいたことのあるような、
痛烈で、正直で、逃げ場のない嘆きです。

田村さんの詩には、「言葉」への深い不信と、それでも離れられない執着がある。
彼の言葉は、どこかコピーライターやデザイナーの視点に近い。
限られたスペースに、鋭く、的確に、世界を切り取るような力があるように感じる。

詩の行間には、まるで余白のような「間」があって、読み手に委ねる余地がある。
その余白こそ、私たちがデザインにおいて意識する「沈黙の強さ」だ。
装飾を削ぎ落とし、言葉と余白で空気を作る。
田村さんの詩は、そんなタイポグラフィ的な美学すら感じさせる。

言葉に救われ、裏切られ、そしていつしか、それを「仕事」にしてしまった私たち。
その心の奥に沈んでいる、誰にも見せない感情を、田村さんはたった一行で引きずり出してしまう。

でも田村さんは、そこで立ち止まらない。
言葉の限界を知ったうえで、それでも言葉でしか戦えない自分を、受け入れている。
それはまさに、広告という仕事に似ている。
言葉を疑い、検証し、また疑い、そして誰かの心を動かす一行を目指して、今日もレイアウトを整える。

広告とは、きっと「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と思いながらも、
言葉でしか世界とつながれない人間たちの営みだ。
田村隆一の詩は、その矛盾と美しさ、そして痛みを、
まるでグリッドの外からこちらを見つめるように、誤魔化さずに語ってくれる。

そしてその言葉は、アナログでもデジタルでも、私たちの手で表現できる。そんな大切な言葉たちを、今一度大切伝えていきたい。

R&D本部 H.S.

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